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2022年度卒業式 学長告辞

2023年3月18日 17:06

白梅学園大学、白梅学園大学大学院、白梅学園短期大学 卒業式・学位授与式 学長 髙田 文子

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卒業式 学長 髙田文子 2023年3月15日

 

 

 皆さん、ご卒業おめでとうございます。保護者の皆さま、ご家族の皆さま本日はおめでとうございます。また、コロナ禍の制限の収束がみえてきたところではありますが、まだ一定の制限をさせていただいたことにより会場にお越しいただけなかったご家族の皆さまをはじめ、卒業生の皆さんの今日を支えた関係者の方々に、教職員を代表して心より感謝とお祝いを申し上げます。

昨日東京は例年より早い桜の開花宣言となり、皆さんの前途を祝しているようで嬉しいニュースです。

 ご存知の方も多いかと思いますが、昨年の夏の甲子園で優勝した仙台育英高校の須江監督が、「青春って、すごく密だ」と語り、聴衆の心を打ちました。監督の思いは、青春が密であることは十分理解しているのに、教員としてそれを阻む指示を出さざるを得なかったという辛さを飲み込んだ表現だったと思います。人生の中でも、特に密な時間を過ごすことが可能で、それによって人間として多くを学ぶのは大学生の皆さんもまさに同じはずです。しかし、最終学年の一年は、少しは規制をはずした活動が可能になりましたが、命を最優先する方針によって、さまざまなレベルの「我慢」を強いる長い年月でした。短大の皆さんは、高校3年生から大学時代のすべてでしたし、4大の皆さんは、実習や活動が本格的に展開し始める2年生から最後までマスク生活でした。院生の皆さんは、幾度も研究計画の変更を余儀なくされたことでしょう。それにもかかわらず、皆さんはすべてのカリキュラムを終え、今日この日を立派に迎えられたのですから、その克己心を称えたいと思います。

 

 さて、本日は、私から2つのことについてお話ししたいと思います。

 まず、人に寄り添うことの難しさと価値についてです。これは、皆さんが本学で学んだことに照らして一緒に考えてみてください。

 そもそも人は、他者と関わり、迷惑をかけ合い、摩擦を起こし、それを超えて成長します。摩擦を恐れたり、回避することで自己完結していては、結局孤独になっていくばかりです。

 そして、本学の強みは、まさにこの人と人との関わりによって培われる領域であるといえます。にもかかわらず、コロナ禍の長期化は、人と人の語らいに大きな変化をもたらしました。本来日常のコミュニケーションの入り口であるおしゃべりや、とりとめのない会話が削ぎ落された生活は、しなやかな人間関係に欠かせない「寛容」のための心の柔らかな部分を蝕み、大人も子どももあまねく無自覚的に、かつ必然的に自分の心を守る傾向を強めたと感じます。人が生きていくためには、弱さを認め合い支え合うことが必要ですし、ケアする側とされる側の相互成長こそが人間関係の基盤です。

 ここで皆さんに問いかけたいことは、自分が描く、人間関係における「関わり」とはどのようなものか、ということです。

 皆さんもご存知かもしれませんが、「なんもしないこと」を仕事にしている「レンタルさん」こと森本祥司さんという方がいます。依頼者の目的地に同行するだけ、話をきくだけ等々依頼内容は多様なようです。コロナ禍の前の2018年から活動を始め、4年半で4000件以上の依頼があったとのことです。さまざまなメディアにもとりあげられていますが、私は朝日新聞デジタルで今年の1月に読みました。

「つながりのなさがもたらす安心感、そこにいてくれること自体がもつ無条件の肯定感」が必要とされているとのことでした。そこで、ADHDとASDの診断を受けた女性が、レンタルさんに依頼の際に次のように言ったそうです。

 

   ホームヘルパーが「大丈夫?」「これしてあげますね」と世話を焼いてく

  れるのは「ありがたいが、私がやれるようにはならない。私は寄り添われる

  ことが、しんどい、つらい」んです。

   レンタルさんは、他人にまったく興味を示さないので、「白いキャンパス

  みたいなもの」だから、「こっちが主役になれる」し、「『こんな人間になり

  たい』という自分の目標値に近づけさせてくれる存在。レンタルさんは私の

  希望そのもの」です。

 

 つまり、余計なことはしてほしくないが、何も言わずとも、たとえ赤の他人でもそばにいてほしい。レンタルさんのこの一例は、人に寄り添うことは容易ではなく、人の心は本当に複雑であることを教えてくれます。必ずしも自分の描く最善の関わりが功を奏すとはかぎりません。でも、だからこそ追究しつづける価値があると思います。

 2つめは、複雑な時代にむかっての皆さんへのエールです。

 皆さんは「グローバル」あるいは「グローバル化」という概念から何を想起するでしょうか。日本においては、「国際化」の用語が「グローバル化」に置き換えられたのは、1990年頃、経済領域が先行していたと思われますが、その後、教育や文化、政策など広い領域で用いられ、その影響についても研究されてきましたし、新しい切り口で世界を捉え直そうという研究も出てきました。

 例えば、歴史研究においても、国家的アイデンティティの形成史が主であったのですが、東京大学の羽田正(はねだまさし)さんという歴史学者が、グローバル・ヒストリーという手法を用いて、世界史を新たな視点で描こうとしています。グローバル・ヒストリーとは、世界全体を空間としてとらえ、その中における関係性などに着目してその時代の解釈を試みる方法です。この手法で世界の歴史を見直してみることで、これまでの歴史解釈を変更したり、新しい歴史解釈を提案できたりする可能性があるというのです。

 世界中が3年間もコロナウイルスに席巻されたのも、グローバルな時代ゆえとも言えますし、世界的視野で情報を取り込むことが可能だからこそ、自国のありようを相対的に捉えることも可能になるわけです。

 このグローバル化によって、世界はパラダイム・シフトを重ね、より複雑な方向に向かって進んでいます。これからの時代にあって、皆さんは、目の前の子どもと人として向き合いつつ、同時に時に地球レベルで事象をとらえ、考えていくことも求められていくでしょう。そのためにも、是非学び続けてください。

 今世界は、収束がみえないウクライナ侵攻、深刻な気候変動、エネルギーの不安定供給、物価の高騰と重大な課題を抱えています。21世紀を生きる皆さんは、これらの課題解決を待つのではなく、当事者としてよりよい方法を模索し、それにむかって積極的に志向していく心持ちで臨んでください。皆さんの豊かな未来を祈念しています。

本日はまことにおめでとうございます。

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