白梅学園大学
白梅学園短期大学
お知らせ
2019年5月 7日 10:05
随想 大切な人
「村のおばあちゃん先生との出会い」
白梅学園大学・白梅学園短期大学学長 近藤 幹生
私の社会人一年生は、男性保育者としてのスタートであった。その直前に制度の変更があり、保育職に男性も受験できるようになった。今では、「保育士」(国家資格)として認められているが、当時は職名がなく「男の保母さん」「保父さん」などと言われていた。存在自体が珍しいことから「パンダ的存在」(当時中国から上野動物園にパンダが来たことから)などと報道され、記者からインタビューを受け恥ずかしかったことを思い出す。十分に考えたとはいえないが、職業としてこの道を選んだわけである。紆余曲折はあったが、約三十年間、保育の仕事をしてきた。その後、大学の教員になり今日に至っているが、早くも高齢者の仲間入りである。この間出会った私にとって「大切な人」として、村のおばあちゃん先生と言われた川上よし先生(1917-2017)のことを紹介してみたい。
保育者をはじめて十年ほど経過した頃(30代半ば)、首や肩、背中が凝る症状が続くことがあった。そんなある晩のこと、近くにいる指圧師の川上先生に電話すると「どうぞ、すぐにいらしてください」ということで先生宅へうかがった。私は、先生の指圧を受けながら、全身がほぐれて気持ちよく眠ってしまった。それ以来、どのくらい指圧治療をしていただいたか、とても数えきれない。
しばらくしてからのことだが、「わたしの首を、親指で三か所、ゆっくりとおさえては離してみてください。そうです。そうです。これをまず覚えてくださいね」ということで、指圧の基本を習う日が、だいぶ続いた。もちろん毎晩ということではないが、数年間は繰り返されたと思う。ほぼ終わる頃であったが、「これは家庭指圧だから、ご家族にだけするように」とも言われた。あの時から三十年が経過しようとしている。現在のわが家にとっては、指圧のない生活は考えられないまでになっている。私が単身赴任していた期間や出張などの際を除き、朝晩の家庭指圧を欠かすことがない日々である。
日常生活に指圧の存在を定着させてもらったともいえる川上先生は、村では“おばあちゃん先生”と言われていた。指圧師というだけではなく、多くの方々の面倒をみる先生なのであった。指圧治療ということでは、浪越徳次郎氏の直弟子であることもわかった。私の子ども時代(1960年代)、テレビ出演していた「指圧の心は母心、おせば命の泉湧く」として、よく知られた浪越先生から直接指圧の技を伝授されたことも聞くことができた。
村で暮らしてきた私の家族にとっては、川上先生は命の恩人だといっても過言ではない。二人の娘(当時一歳、二歳)の保育をしていただいたことが、最初の大事な出会いであった。当時、村の公立保育園では、まだ低年齢の子どもを保育していなかった。そこで川上先生は、お嫁さんと共に三歳未満の子の保育をしてくれた。私たちが核家族であるため、二人の娘の保育に困っていた際、預かってくれたのである。そして、私たちが借家さがしに困っていたとき、持ち主と交渉してくれたのも川上先生であった。古くて大きい家であった。〈果たして、ここで暮らせるだろうか。小さい娘たちは風邪を引いたりしないだろうか・・・・・・。〉とても不安であった。でも、「だいじょうぶですよ、夏は涼しい。冬は寒いが太陽の光のありがたさが、誰よりも感じられるようになります」「貧しきが幸いですよ」と力強く励ましてくださった。やがて長男が生まれ、三人の子たちはここで育ち、大きな病気もせずに成長していくことができた。さらに川上先生は、隣村にある私立保育園に私を保育者として採用してもらえないかと、声をかけてくれた。私たち家族にとって、子育てから住まいや仕事と、いわば生活のすべてにわたり、導いてくださったのが、村のおばあちゃん先生こと、川上よし先生であった。
川上先生は、1917年長野県の生まれで、単身で上京し、東洋英和学院で幼児教育を学ばれる。入学と同時にクリスチャンとして洗礼を受ける。卒業後、都内で幼稚園教育に携わる。同時に、都内にいるうちに、指圧を学びたいと苦労を重ね浪越先生に師事した。しかし、時代は折しも第二次世界大戦末期、東京での生活は安全ではありえず、幼稚園の親たちと悩みぬいた末に、1944年、長野県軽井沢へ疎開(幼児や低学年児童など十数名)することになった。先生が長野県出身者であることから、疎開幼児・児童たちを引率する役割を引き受けたのであった。
戦後、疎開施設は軽井沢学園という児童養護施設として引き継がれていく。川上先生は、その後結婚され千曲川源流の村へ嫁ぎ、農家の嫁として生き、村の子どもたちのために農繁期保育をはじめたのであった。
2017年12月、先生は百歳の生涯を終えられた。心から哀悼の意を表したい。村のおばあちゃん先生の生き方に何を学ぶべきか、すぐにくる高齢者としての生活を通して、深く考えるようにしたいと思う昨今である。
『向上』No.1282 発行:交易財団法人 修養団(SYD)