白梅学園大学

メニュー

白梅学園大学

第15回オープン研究会を行いました。

2015年1月29日 10:40

第15回オープン研究会の報告

ドライサー研究――短編小説の手法と内容 (報告 中島好伸氏)

 

2014年11月4日(火)に、子ども学部教授中島好伸氏に、長年のアメリカ文学研究の一端を報告していただいた。
氏は、言語表象と人間への興味から「文学とは何か」に、アメリカという人工国家の地理・歴史・政治への関心から「アメリカとは何か」に関心が向き、アメリカ文学研究にはいったという。その背景には、幼少期からの地図マニアで、地図をみて現実の地形を想像し飽きることがなかったことがある。地図という記号から現実を想像する楽しさが、言語という記号により表象された世界を想像するリアリズム文学への道につながった。批評界においては、20世紀以降、モダニズム・構造主義・ポスト構造主義という変遷のなかで、記号=内容は自明のものではなく恣意的なもの、と捉えることが主流になっている。中島氏はしかし、あくまでも記号(シニフィアン)は内容(シニフィエ)を模倣(ミメーシス)する、と読みたいとする。
まず、アメリカ文学の大きな流れをみると、19世紀国家建設時代はメルヴィル『白鯨』に代表されるロマンティシズムの時代、19世紀西部開拓時代は新しい土地を発見しそこにあるものを書いていくリアリズム文学である。リアリズムと関わりの深い自然主義文学は1890年代―1910年代であり、セオドア・ドライサー『アメリカの悲劇』はここに位置づく。1920年代以降はモダニズム。第一次大戦を契機に、科学の進歩が人間の幸せに通じることが信じられなくなり、文学の転換がうまれる。ヘミングウェイ『老人と海』に代表されるロスト・ジェネレーションの作家が活躍。1930年代は、スタインベッグ『怒りの葡萄』のようなプロレタリア文学の時代。1950年代以降は、これまで脚光を浴びることの無かった黒人、女性、ユダヤ人などのアイデンティティ文学の時代である。かつての人種のるつぼから、色々なものが入っているが、それぞれの原型は保たれているサラダボールへの変化である。
このような文学の流れに対応し、批評基準はシフトしてきた。1930年代の批評基準はリアリズムであり、ドライサーの評価は高かった。1950年代以降はニュー・クリティシズムが登場する。評価基準はモダニズム、作品を世界の反映とみるのではなく、独立した芸術作品としてみようとするもので、ドライサーは批判され、ウイリアム・フォークナーが脚光を浴びるようになる。絶版となっていたフォークナーの難解な小説が、1950年ノーベル文学賞を受賞する。
モダニズムの原理は、複雑な現実は模倣では描けない、人間の認識のあり方に現実は宿っている、というものである。中島氏は、モダニズムはアメリカの悪しき現実を隠蔽するものであり、ドライサーはアメリカの良いところも悪いところも描いたアメリカを代表する作家だ、と主張したいとする。
ドライサーは生涯31編の短編小説を書いている。しかし、ドライサー研究は『シスター・キャリー』『アメリカの悲劇』など長編小説に集中してきた。中島氏は近年ドライサーの短編に注目し、現在、『聖コロンバと川』の翻訳・解釈を試みている。
自然主義文学は、人間は遺伝と環境によって決定されるとする環境決定論を文学に応用したものである。そこでは多くは三人称の語りが採用される(全知の語り)。これに対し、モダニズムでは一人称の語りが増える。ドライサーは、ヘンリー・ジェイムズが編み出した心理的リアリズムの手法を語りにいれこもうと「自由間接話法」の手法を試みている。
自由間接話法とは三人称の語りの中にありながら登場人物の意識をまるで一人称の語りのように語る手法である。ドライサーは短編小説の中で自然主義特有の三人称全知語りと自由間接話法の融合を試みながら、自然主義における効果的な語りの手法を探究していた。
*      *  *
以上の報告を受けて、文学と時代との関係、文学と心理学の関係など議論が尽きなかった。
参会者一同、これまで多かれ少なかれ、小説の読者としてはアメリカ文学に接してきた。今回は、中島氏が専門研究を平易にお話くださり、文学とアメリカについて、おおいに認識を深めることができ楽しいひとときであった。
                                   (文責 松本園子)
 

ページの先頭に戻る