白梅学園 授業概要(シラバス)2005
授業科目名 基礎ゼミナール 外からの「自分」史
担 当 者 栗田 廣美 開講時期 前後期
授業形態 演習
単 位 数
◆授業のねらい及び学習教育目標
 自分のヘソばかりじっと見つめていても、「自分を見つめる」ことにはならない。
                   ○
 「自分史」というのが流行したことがある。むろん「自分」を見つめ振り返るのは良いのだが、「自分史作成」には少なくとも、以下3つのオトシアナがある。
(1)ついつい「いやし」の手段にしてしまう。
(2)自己伝説(「思い入れとしての自己像」を形成する物語群)を再編・強化する。
(3)ルーツさがし(自分は○○一族のナントカなのだ!とか)が自己目的化する。
 皆、結局は、「自分はこんな人だと(今、自分で)思っている自分」の中でグルグルまわる保守的(?)な役割を果たすのではないか(ということを重々承知でやるなら、それはそれでスゴイことだが)。
                   ○
 本ゼミでは、この「自分」というヘンなものを、より普遍的な「場」の中に「置いて」みて(つまり、自分を客観化して)、その「置いた」ものにピントを合わせる(言語化する、表象する)訓練をする。
 「自分史」などと言いながら、諸君は1年間、自分「ではない」ことばかり調べまくり、読みまくり(もしかしたら歩きまわり)、語りまくり、書きまくることになるだろう。
 特に高原ゼミとの(相互のりいれ的)交流や、他ゼミへの「押しかけ交流=合同討議(他流試合)」、また、可能なら学外に出る企画等、「開かれたゼミ」をめざし、「自分を置く場」に関わる発想そのものを広げたい。


◆授 業 計 画
 おおむね以下のような順序を「予定」はしているが、諸君の調査、問題意識の進展、何よりも「発見」そのものによって、たぶん、大々的に変わるだろうし、変わらねばならぬし、いわば「あとかたもないほど変わってしまう」ことをめざす。
(1)スタート:実例を用いた「モデル自分史」作り(この段階では、まだそれほど予定は変わらないと思う)。
 実例(モデル)は「タケオくん」(1878~1923)。一応「有名」な人。どんな人(だと思われてきた)かは、最初に紹介する。この実例調査を通して、資料の探し方、読みとり方、年譜等「まとめ」の作り方、読みとり方、参考文献の探し方、調べ方、インチキ(手ぬき)参考文献の見破り方、本人の自己像(自伝・回想・日記)の虚構性、通説(皆がそう思っている「その人」像)の解体法、本人を「外」から見る法(社会、歴史、文化、文明・・・)、本人を「内」から見る法(意識・主観に密着)、等の基礎能力修得のスタートを切る。諸君の修得度によって、数か月かかるかもしれない。
(2)「自分前史」
 ねらいは(1)に書いたことの「やや応用編的」訓練。理想的には、ペリー来航(1853)以後(わずか150余年でしかないが)の日本・東アジア・近代文明の展開という「場」に、自分自身へと連なる数代の具体的人物の「生きたこと」を、スポッと置いてみること。それをどうやってするかは、(1)の訓練状況次第。
(3)外からの「自分」史
 1年のまとめとして、「自分」を置く「場」についての大ざっぱな見とり図と「自分」史を作る。その際に重要なのは((2)も同じなのだが)、下記の2つを備えることだ。
  a 大きく見通しの利く広がり(パースペクティブ)。
  b 何か所かで良いから(子どものころ夕焼けの下で、フッと見たブランコの色、とか)、そのまま
   映画のカットやシークエンスになるような、徹底的に具体的なディテイル。
以上。結局、やってみなければ「どうなるのか全然予定が立たない」のが学問の一つの本質だ。


◆成 績 評 価
 授業参加態度・姿勢を中心に、提出・掲示物の出来ぐあいも含め、総合的に評価する。

◆テ キ ス ト
 前期は主として図書館利用。以後は未定だが、いずれにせよ歴史年表や地図を求めてもらうことにはなる。

◆参 考 書
 全くの「白紙」から「参考書」を探し始めるスタートに関して指導するので、ここには示さない。基本的には、たぶん、何も「買う」必要はない。

◆担当教員から一言
 元気な時は絶対に一回もサボルな。風邪かな?と思ったら早目にしっかり休んで、すぐに治してから出て来い。中途ハンパなヤツはダメだ。